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2019/03/20

飲食事業を始めた経緯 6(農水省での研修の続き)

農林水産省での農村派遣研修について、もう少し書きたいと思います。

 

派遣先については、自分で希望を出せますので、同僚の職員もそれぞれ日本各地の農家に研修に行きました。

 

 

せっかくの研修の機会ですので、普段体験できない場所に行きたいと思っている人が多く、沖縄の離島や、北海道などが人気でした。

 

 

勿論、単に沖縄や北海道に行きたいなどと言っても希望は通りませんので、もっともらしい理由をつけます。沖縄であれば、過疎の離島地域における農業振興を通じた地域活性化について考察したいということや、北海道であれば、大規模経営農業について学びたいなどです。

 

 

研修先に有機農家を選んだ人は自分の知る限り当時はほとんどいませんでしたが、私と同じ部署の同期職員がちょうど同じく、有機農業を学びたいと希望を出しました。

 

 

彼も有機農家への派遣が無事に決まったのですが、よく聞いてみると、有機栽培を行っているタバコ農家だったようです。彼はタバコが大嫌いでしたので、ショックを受けていました。

 

 

自分や同じ部署の同期職員の彼のように、研修で有機農家に行ったものからすると、なぜ農水省はもっと有機農業を振興しないんだろうと思いましたし、そのような質問を受けることも多くありました。

 

 

それに対する答えの一つとしては、関心を持っている人が少ないからだと思います。

 

 

農水省の職員であれば、ほぼ全員が日本の農業を活性化させるということを目指していますし、環境保全型農業や循環型農業を推進する必要性についても、大半の職員が認めていると思います。

 

 

ただ、有機農業を振興するべきかと問われたときに、積極的に賛成する人はあまり多くいないと思います。

 

 

日本の農業の一番の課題は、農業者の所得を上げて農業を魅力的な産業にすることですので、そのためには、機械化の推進や大規模化、六次産業化などによる効率的な経営を目指すことが重要です。安全性が認められている最小限の農薬を使った方が、労働時間の短縮になりますし、そもそも有機農業は現状では圧倒的にコストがかかるのに、それに見合った高いお金を払って有機作物を買いたいという市場も大きくありません。

 

 

ですので、儲からない有機農業を振興する訳にはいかないという考え方は、ある意味当然だと思います。

 

 

どの農家も、国の定めた農薬の使用基準などに従って、安全な作物を栽培しており、しかも毎日大変な作業を行っています。そうした中で、経済的な利益を見込めず、技術的にもとてもハードルが高い有機農業に切り替えるべきだとは、言えることではありません。

 

 

有機農業を振興すべきと思うか、有機野菜を食べたいと思うかどうかは、個々の人の価値観によるべきものですので、行政が旗を振って大々的に取り組むのは、(社会全体の価値観が変わらない限り)現状難しいのだと思います。

 

 

自分は価値観として、有機農業を振興したい、できるだけ有機作物が多く世の中に出回るようにしたいと思っています。それを実現するためには、例えばアメリカのように、オーガニック商品が売っているスーパーでの買い物が楽しくてワクワクすると思えるようになったり、有機農業を行って利益を出す農家さんが多くなったりするなど、オーガニックのマーケットを拡大することが、一番の道なのではと思います。

 

 

社会をよくするために行政が果たす役割はとても大きい一方で、民間の事業者の新たな取組によって市場を開拓することによって、社会が変わっていくということもあります。

 

 

(続く)

2019/03/13

飲食事業を始めた経緯 5

Blogの内容がどんどん固い内容になってきてしまっていますが、農林水産省で働いていた経験をもう少し書きたいと思います。

 

 

農林水産省に入省してしばらくすると、通常の国家公務員の研修とは別に、農業の現場で一ヶ月間働く、農村派遣研修があります。

 

 

研修の行き先に関しては、地域や作物についての希望を出すことができます。

 

 

通常は、人事を担当している秘書課に希望を出して、県庁などを通じて派遣先の農家が決まるのですが、自分は有機農業に思い入れがあったために、知り合いの紹介によって自分で派遣先を決めて申請をしました。

 

 

自分の研修先の農家さんは、熊本県阿蘇村にある「ぽっこわぱ耕文舎」さんでした。ぽっこわぱは、フランス人の旦那さまと日本人の奥さまの夫婦と、もう一組の日本人夫婦によって共同経営されており、阿蘇のふもとで米や野菜を栽培して、市場を通さずに消費者に直接販売をされています。

 

 

しかも、ぽっこわぱの農法は、単なる有機農業ではなく、バイオダイナミック(=ビオディナミ)農法でした。

 

 

ビオディナミ農法は、ワインに詳しい方は知っているのですが、有機農業(無農薬・無化学肥料)であることは勿論のこと、月の満ち欠けや天体の位置による影響を計算したカレンダーに従って、種まきや収穫などを行います。

 

 

それだけではなく、雌牛の角に牛の排泄物を詰めて土の中に埋めて置いたものを雨水で希釈して、調合材として土地に散布するなど、現代農業とは全く異なる神秘的な農法です。

 

 

日本でこんな農法を説明したら笑われてしまいそうですが、ドイツのシュタイナー博士によって提唱されたもので、ヨーロッパの有機農家の多くに取り入れられています。ロマネ・コンティを筆頭にフランスの一流のワイン畑の大半もこのビオディナミ農法でぶどうを栽培しており、なぜかこの農法で栽培した作物は普通の有機作物と比べても美味しさが全然違うと言われています。

 

 

自分もこの研修の約10年後にワインのことを勉強するようになって初めてビオディナミ農法が凄いものだと知ったのですが、研修の当時は、そんなことを全く知らなかったので、とても驚いてしまいました。

 

 

夜には、フランス人の旦那さん(ビリーさん)によるシュタイナーについての勉強会などもあったのですが、当時は、かなり迷信的な内容だなと、内心思っていました。でも10人くらいの勉強会の中でそう感じていたのはおそらく自分だけだったので、空気を読んで、周りに合わせていた状況です。

 

 

後は、有機農業は、勿論、農薬や除草剤を使わないので、炎天下の中で、畑の草を手で刈ったり、たくさんの野菜を手で洗ったり、やっぱり大変な作業だなーというのを研修で実感しました。

 

 

自分は、この阿蘇での農業研修の他にも、群馬県嬬恋村のキャベツ農家で2ヶ月間住み込みで働いた経験もあります。キャベツの収穫は朝5時前から夜8時まで、途中休憩は勿論ありますが、ずっと腰をかがめてキャベツを刈り続け、重い段ボールを運ぶなど、逃げ出す人が多くいるほどのハードワークでした。

 

 

このように、農業の現場はとても大変でしたが、でも肉体労働をした後の食事、特に獲れたての野菜を使った料理は、やっぱり美味しかったです。

2019/03/06

飲食事業を始めた経緯 4

自分は中学生の頃から新聞を読むのが好きだったのですが、新聞に書いてある記事や社説の大半は、社会が抱える課題、問題についての記事のため、自然とそういった社会課題を解決するための仕事をしたいと考えていました。

 

 

このため、民間企業の就職活動は行わずに、国家公務員試験を受験しました。二度目の受験で試験を合格した後に、官庁訪問を行って自分の希望する省庁の面接を受けるのですが、国際関係に関心を持っていたために外務省、そしてオーガニック食品を普及したいとの思いから、農林水産省の面接を受け、結果、運良く農林水産省の内定を頂くことができました。

 

 

農林水産省入省後は霞ヶ関で働いていましたが、霞ヶ関の省庁の仕事は知る人ぞ知るかなりのハードワークです。

 

 

農林水産省の仕事は、簡単に言うと、日本の農業や食品産業を振興して、消費者が安全な食料を常に手に入るようにすることです。そのために、毎年3兆円ほどの予算を使って補助金を交付するための何百もの事業を立てて運営すること、食品の安全確保や環境保護のために農薬の使用基準などの法律を作成してその運用を行うことが主な仕事です。

 

 

補助金を交付するためには、公平に厳密なルールに基づいてお金が使われるように、補助金交付要綱・補助金交付要領といった文章を定める必要があるために、入省後すぐに、先輩の厳しい指導を受けながら、そうした文章を数多く作成していました。

 

 

また、法律を運用する際にも、法律自体だけではなく、様々な事例に対応した細かいルールを定めるために、政令、省令、通知文書といったものが定められており、入省後には自分の担当する部署の数多くの行政文書について理解し、日々の運用のために、そうした文書を改正するための仕事も行います。

 

 

更に、霞ヶ関の省庁の重要な仕事の一つとして、国会対応があります。日本の統治機構は、三権分立の考え方に基づき、国会が行政の仕事をチェックしているために、毎日、国会議員からの要請に基づいて資料を作成したり、国会での審議に備えて大臣答弁資料を作成します。

 

 

入省直後は、窓口係として、毎日何十件と来る国会関係の仕事を受け付けて、案件毎に異なる担当部署に仕事を割り振り、進捗を確認して、成果物を提出するのが役割です。単に割り振りをするのみではなく、内容をよく理解して、担当部署と相談しながら、どの範囲までの資料を自分の管轄の部署で作成することができるかを整理して、できないものは他の省庁に依頼をしたりといった対応を考えることも必要であり、丁寧に対応をしていると一件を処理するのにもそれなりの時間がかかります。

 

 

毎日、こなせきれないほどの仕事があり、自分が担当する文章や資料についての厳しいチェックも先輩から受けて、難解な資料を解読しながら資料の修正などを行うために、終電までの時間に帰れる日はほとんどなく、他の職員も遅くまで働いているので、毎晩、深夜2時か、3時頃まで働いていました。

 

 

当時は、まだ働き方改革のような動きもなく、仕事ができるようになるためにはたくさん働くのが当たり前という雰囲気でしたので、長時間働くことはそれほど苦ではなく、同期で集まった際などは、忙しさ自慢で盛り上がっていました。

 

 

(続く)


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